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ウォリック (ロードアイランド州) : ミニ英和和英辞書
ウォリック (ロードアイランド州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ドア : [どあ]
 (n) door
アイランド : [あいらんど]
 (n) island, (n) island
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ウォリック (ロードアイランド州) : ウィキペディア日本語版
ウォリック (ロードアイランド州)[す, しゅう]

ウォリック(〔ウォーウィックと表記されることがあるが、ウォリック伯に因んで名付けられたのでイギリスでの表記による。発音は:en:Earl of Warwickを参照〕)は、アメリカ合衆国ロードアイランド州ケント郡の都市である。2010年国勢調査での人口は82,672人であり〔State & County QuickFacts, Warwick, Rhode Island , 2011-12-24閲覧〕、2000年の85,808人より3.7%減少したが、州内第2位である。2000年以降、市長はスコット・アベディシアンが務めている。1642年にサミュエル・ゴートンが創設したウォリックはアメリカ史の主要な出来事を目撃してきた。

ウォリックはフィリップ王戦争(1675年-1676年)の時に人口が激減し、アメリカ独立戦争のときはイギリスのスクーナー船''ガスペー''に対して最初の銃撃が行われた場所だった。ウォリックは独立戦争でジョージ・ワシントン将軍に次ぐ副司令官だったナサニエル・グリーン将軍や、南北戦争のときにゲティスバーグの戦いで英雄となったジョージ・S・グリーン将軍の生誕地だった。
ウォリックにはロードアイランド州の主要空港であるT・F・グリーン空港があり、プロビデンス大都市圏の用に供し、マサチューセッツ州ボストンジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港の代替空港の役目も果たしている。またロードアイランド州陸軍州兵の第43憲兵旅団基地もある。
== 初期の歴史 ==
ウォリックは、ナラガンセットインディアンの大首長マイアントノミが貝殻玉144ファソム (263 m) を受け取ることに合意した1642年に、サミュエル・ゴートンによって創設された。これは「シャウホメット買収」と呼ばれた。この買収には現在のコヴェントリーウェストウォリック町の町も含まれていた。しかしこの買収は紛争無しに行われたものではなかった。地域にいたサコノノコとパムハムという2人の首長がその承認を得ずにマイアントノミが土地を売ったと主張した。2人の首長はマサチューセッツ湾植民地ボストンに訴え出、その土地をマサチューセッツの統治下に置いた。1643年、マサチューセッツは民兵隊をシャウホメットに派遣し、ゴートンとその追随者を逮捕しようとした。激しい対立の後、ゴートン支持者のうち3人を除いて全員がマサチューセッツの部隊に降伏した。この出来事が契機でナラガンセット湾にあった他の3つの町(プロビデンス、ポーツマスおよびニューポート)が合同し、ナラガンセット湾の町にロードアイランド及びプロビデンス・プランテーション植民地を形成する王室勅許を得た。
1648年、ゴートンは海軍提督でイギリス議会プランテーション問題委員会の長であった第2代ウォリック伯爵ロバート・リッチから土地特許を認められた。このために開拓地の名前はシャウホメットからウォリックに変えられた。マサチューセッツはこの地域に対する領有権主張を続けたが、それを強制できる力は無かった。
1772年、ウォリックはガスペー事件と呼ばれることになる最初のイギリス王権に対抗する暴力事件の現場になった。当時密貿易があたりまえのように行われていたナラガンセット湾に、1765年印紙法タウンゼンド諸法を強制するための密輸監視艇HMS''ガスペー''に地元のアメリカ愛国者達が乗り込んだ。船を乗っ取られるのを防ごうとした''ガスペー''の指揮官ダッディンストン海尉が股あてを撃たれ、アメリカ独立に向かう出来事での最初の血が流されたのがこの地になった。''ガスペー''は火を点けられる前に全ての大砲や武器を外された。
独立戦争の間、ウォリックの民兵隊はモントリオールケベックサラトガモンマストレントンロードアイランドなどの戦いに参戦し、ヨークタウンイギリス軍が降伏した時もその場にいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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